人生のツケが押し寄せすぎ

40歳ひとり暮らし貧乏女の心境と愚痴

エキセントリックな家族 1/2

自分の家族がおかしいんじゃないかと疑い始めたのは、物心がついたころでした

最近です

父はわりと裕福な環境で産まれ、3兄弟の末っ子だった為ベロベロに甘やかされて育ちます

高校卒業と同時に、進学するでも就職するでもなく、祖父母に全費用を負担させ、喫茶店経営に乗り出しました

腰まで伸ばした長髪

祖父母のお金でブランド服に身を包み、駄々をこねて買ってもらった車を乗り回す毎日

アルバイトすら未経験です

そんな父にも在学中に憧れのマドンナがいました

卒業後、就職で上京した彼女を射止めるべく、ロン毛を巨大なアフロヘアに進化させ、真っ白なスーツに赤いシャツ、青いネクタイを戦闘服に店を休業

東京へと飛び立ちますが、1ヶ月と経たずにフラれ、ストレートパーマをあてて出戻りました

帰りの飛行機で、あまりのショックに大量の鼻血を垂れ流し、白いスーツと座席を真っ赤に染め上げた厄介な客です

一方その頃、母はスナックを転々とする流しとして生計を立てていました

母は貧乏だったので、前職は事務と花屋を掛け持ちするなどの苦労人です

苦労人のくせに随分と綱渡りな人生設計です

2人は共通の友達が多く、たまたま父が大失恋したタイミングで母もフリーだったので、なんとなく付き合うようになり、ほどなく私が発生したので籍を入れました

生まれたての私をカウンターに転がし、機材と店構えだけは立派な喫茶店を経営するド素人の若夫婦

繁盛するわけがありません

特に母は珈琲の入れ方すら覚えようとしなかったので、泥水のような味と定評がありました

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ちなみに私はドトールのドリップコーヒーが好きです

さすがに危機感を覚えた2人は、カレー専門店として立て直しを試みます

何をどう考えたらそんな発想になるのかわかりませんが、当時は名案だと思ったそうです

カウンターに赤子の私を転がし心機一転

気持ちを新たに商売を始めますが客足は伸びません

目新しさでチラホラと来店するものの、固定客はつきませんでした

それもそのはず

カレーの作り方など知らない2人は、市販のカレールーを大量購入し、その日の気分で大鍋で適当にブレンド

商売をなめています

もうアルコールの力を借りるしかないと思ったのか、懲りずに飲み屋をオープンさせます

カウンターに乳児の私を転がし、起死回生を図りますが、大きな問題がありました

売り上げは好調だったものの、病的なほどに短気な母は酔っぱらいが嫌いです

ムーディーな照明とたゆたうジャズ

日頃の喧騒やストレスから解放され、まどろんできたところで

「酔っぱらうんだったら帰れ!!!」

罵声と共に追い出されます

斬新すぎてついていけません

当時はバブル景気

まだ若かった父は働き口には困りませんでしたが、妙なこだわりがあり苦戦を強いられていました

帽子です

髪の乱れは心の乱れ

毎朝シャワーを浴び、下着を穿くのはダサいからと直にヴィンテージジーンズを装着

30分かけて念入りにヘアセットした後に、なぜか帽子を被るこだわりっぷりです

父は今でも、風呂と寝るとき以外は帽子を着用しています

概念的にはパンツと同じらしいです

帽子とロン毛で働ける仕事など、当時は限られています

ついでに社会経験もなく、祖父母に怒られたことすらないので、メンタルも異様に弱いです

見かねた祖母が、父の弟、つまり私の叔父が経営する寿司屋に父をねじ込みました

叔父も結婚して家族を養っており、余裕がなかったのでしょう

当時の給料は手取りで10万円

そんな状況で第二子となる私の弟が産まれ、アパートの家賃も払えなくなった父と母は、二世帯住宅を建てた祖父母宅の2階を間借りします

その余波を受け、我が家の誕生日・クリスマスプレゼントは、毎年ノートと鉛筆と消しゴムでした

どう考えても学用品です

クリスマスも同様だったので、間違った認識を植え付けられた私は、誕生日会にお呼ばれする度にノートと鉛筆と消しゴムを持参するようになります

「やさぐれちゃんのは開けなくてもわかるの

ノートと鉛筆と消しゴムだから」

と先生に報告した友達が怒られていましたが、未だに誰かの誕生日が来ると魔の3点セットを送りたくなるのです

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